cero『Obscure Ride』を聴き、子が産まれた

息子が産まれた。

 

このブログのタイトルにもしているが、自分も嫁もイニシャルがNYで、いっそもう一人NYを増やそうと彼の名の一文字目を「山」にした。させていただいた。

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cero『Obscure Ride』を聴いた

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発売日前日の店着日に弟に買ってきてもらったが、2ー3日程受け取らずに寝かせてしまった。僕は例えばドラクエの最新作を買って、その日はプレイせずに次の日にTVの前に正座してゲーム機にソフトを挿入、生唾を飲み込んでスイッチを入れる人間だった。今回のceroも何かを感じ取らなければならないようで聴くのが少し怖かった。

結果的には最高のアルバムだった。2015年のベストどころか今後何かと語り継がれる、例えば小沢健二の『life』、例えばフィッシュマンズの『空中キャンプ』のような盤になるのではないだろうか。

こちらも名盤と言われるだろう前作『My Lost City』、その後の方向転換に面食らったリスナーも多いと思うし自分もその一人だったけれど、今となっては完全に現在のサウンドの方がいい。

乱暴な例えだけれど”ブラックミュージック”という決して小さくない獲物をどうにか倒し、喰らってその能力を手に入れてしまった、みたいな、修行に出て「そして二年後…」でめちゃくちゃ強くなってる、みたいなイメージ。方向転換直後のシングル『Yellow Magus』で感じた違和感はこの進化に必要な澱みたいなのを感じていたのかもしれない。『My Lost City』からの真っ当な進化ではないけれど、高校3年生の次は高校4年生ではなく大学1年生なんだというように、輝きの種類からして別物に感じる。

すぐに声に出して歌いたくなるようなキャッチーで華やかな曲は少ないけれど、普通に聴いていたのがある日ベースの一音一音まですごく良く聞こえたり歌詞がスッと頭に入ってくる。それだけなら最近で言うところの「スルメ系」だけれど、全曲がそのハマる瞬間を約束されているような異常な事態。

この所「シティポップ」という言葉が再び取り上げられていて、多分その意味するところは昔のそれとは違うと感じている。その筆頭にあげられるであろうceroがドライに切り取っている情景はあきらかに東京のものだけれど、例えば神戸のtofebeatsだってその文脈に乗るだろうし北海道恵庭のfolksもそうだろう。東京/地方都市の意味合いのバランスが以前と全く違う今、シティポップという言葉の無意味さが目につく。

ただceroの作品では街の雰囲気や情景の描写が確実に重要な部分を占めていて、今の彼らが「シティポップ」なんて言葉でくくられるようなスケールには感じられない一方で、今後のそれを一手に担っていくようにも感じる。

 

ところでceroの高城氏も今年に入ってお子様が産まれたそうだ。その名も「街」君。

うちの息子も「山」だけではどっしりしすぎかと思い、二文字目に「都」の文字を入れた。入れさせていただいた。

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「いいね」の塊。かわいさが質量を持って呼吸をしている。うんこさえ愛おしい

 

好きになって聴き倒した音楽は人生のしおりのような効能を発揮するので、『Obscure Ride』を聴く度に息子の誕生を思い出すという寸法だ。

最高&最高、最高山脈です。

 

Obscure Ride 【通常盤】

Obscure Ride 【通常盤】